memo

記事にするまでもないつぶやき

No.113, No.112, No.111, No.110, No.109, No.108, No.1077件]

やはり私は午前中はフリータイム、午後~寝るまでは仕事、としたほうが集中出来るし、効率的に時間を使えるな、と思いました。
「午前中遊んだんだから午後はしっかり仕事しよう!」と思える。仕事が終わってから遊ぼう、だと「もっときりのいいところまで、もっときりのいいところまで、とずっと仕事してしまって遊ぶ時間を削ってしまって精神衛生によろしくない…。
そして仕事をイイ感じにキリよく終わらせられたとしても、遊ぶのが楽しくてついつい夜更かししてしまいがち。これが寝る直前にしてるのが仕事だったら「もう時間だからな!時間までちゃんとやったからな!終わってよし!!!」となれるので、生活リズムが保たれる。

本来午前中は創作的な仕事、午後は作業的な仕事としてほうがいいらしいんだけど、私には向いてないな…。朝からずっと仕事してると気が滅入ってしまう…。

どちらかと言えば「やりたいことからやる」が向いてるんだと思うな。
とことん普通の会社に向いてねえ~~~!これ自宅仕事だから許されてる作業配分だなあ。

445文字, なし

結局人生どれだけ親類縁者と良好な関係を築けてるかどうかが人生の自己肯定感に関わってくるのかな…。
(※ただこういう事を悶々と考えるのが好きな人です)

74文字, なし

下の話の続きなんですが、あの世はあると怖いけど、来世はあってもいいです。あの世は漠然とし過ぎてて怖いけど、来世は現実の延長戦と考えるとそこまで怖くないので。ガジェオタだから私が死んだ後ガジェット類がどれだけ進化するのかなとか考えたらワクワクする。

123文字, なし

風呂の中で死生感についていて考えていて、死の解釈がどれほどその人にとって都合の良い『救い』であるか、みたいなことを…つらつらと…。
長いのでたたみます。(どうでもいい思考の掃き出しです)


死が救済だとして、私は「死んだら全部終わり。何にもなくなる」と思ってて、それが救いだと思っているんですが、人によっては「死んだらあの世があって、先に死んだ人たちに会える」と言うのが救いだったりするわけで…。
(人様の考えを否定するわけではなく)私としては、死んだらあの世があって、死んだ先にもまだ延長戦があるのかと思うと「生きててこんなにしんどいのにまだまだ続くの!?嫌だよ!!!誰とも会いたくない!!!」とも思うし、死んだ後に人生を裁かれるとか考えただけでぞっとしてしまう。
だからあの世なんて私には無いほうがずっと「救い」なんですよね。だから死んだらなにもかも無くなってくれた方が私にとっては都合が良い。

でもそんなこと言いながら、人間にはあの世で会いたいなんて全然思えないけど、もしも今一緒に住んでる猫たちが今後先に死んでしまって、あの世で会えますよ、ずっと一緒に居れますよ、と言われたらポン、とあの世の存在が救いになってしまうなぁと。
猫たちには会いたいし、ずっと一緒にいたい。

結局心の底から会いたい人がどれだけ居るかって話なのかな。

多分漠然と、あの世でむき出しの魂みたいなものであってしまったら、肉体で隠されてる私への悪感情も可視化されてしまうような気がして、人のそんなもの知りたくもない、と思っているところもある。

先祖代々の墓もあるけど、そこに入りたいとも思えない。そんな場所に入って、あの世でひたすら怒られるのかもしれないと思うだけで疲れる。

あと何十年かしたらこの考えも変わるのかわからないけど、今のところ、あの世なんて無い、と思えたほうが私には救いだなあと、ぼんやり考えていました。

漠然とあの世って、自分の人生をジャッジされる怖いところだと思っているんだと思う。

まぁ要約すると「死ぬの怖い」て話です。畳む

867文字, なし

自分でサイト作ってからと言うもの、フォロワーさんの個人サイト見るのが凄く楽しくなっちゃって超訪問している…。やはりすべては自分事として受け取らないといけないのだなとしみじみ。

87文字, なし

一気に寒くなったので、腰痛が悪化してしまいました。もう何年もずっと腰の右が痛い…。とりあえずストレッチをしっかりやるしか無いですね…。

67文字, なし

ここのカテゴリに「メモ」を追加しました。有益かつ、未来の私を助けそうな情報をここにぶち込んでます。ここ見てる人そんなに居ないと思うんですけど誰かの役にも立ったらいいな

83文字, なし

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