memo

記事にするまでもないつぶやき

No.110

風呂の中で死生感についていて考えていて、死の解釈がどれほどその人にとって都合の良い『救い』であるか、みたいなことを…つらつらと…。
長いのでたたみます。(どうでもいい思考の掃き出しです)


死が救済だとして、私は「死んだら全部終わり。何にもなくなる」と思ってて、それが救いだと思っているんですが、人によっては「死んだらあの世があって、先に死んだ人たちに会える」と言うのが救いだったりするわけで…。
(人様の考えを否定するわけではなく)私としては、死んだらあの世があって、死んだ先にもまだ延長戦があるのかと思うと「生きててこんなにしんどいのにまだまだ続くの!?嫌だよ!!!誰とも会いたくない!!!」とも思うし、死んだ後に人生を裁かれるとか考えただけでぞっとしてしまう。
だからあの世なんて私には無いほうがずっと「救い」なんですよね。だから死んだらなにもかも無くなってくれた方が私にとっては都合が良い。

でもそんなこと言いながら、人間にはあの世で会いたいなんて全然思えないけど、もしも今一緒に住んでる猫たちが今後先に死んでしまって、あの世で会えますよ、ずっと一緒に居れますよ、と言われたらポン、とあの世の存在が救いになってしまうなぁと。
猫たちには会いたいし、ずっと一緒にいたい。

結局心の底から会いたい人がどれだけ居るかって話なのかな。

多分漠然と、あの世でむき出しの魂みたいなものであってしまったら、肉体で隠されてる私への悪感情も可視化されてしまうような気がして、人のそんなもの知りたくもない、と思っているところもある。

先祖代々の墓もあるけど、そこに入りたいとも思えない。そんな場所に入って、あの世でひたすら怒られるのかもしれないと思うだけで疲れる。

あと何十年かしたらこの考えも変わるのかわからないけど、今のところ、あの世なんて無い、と思えたほうが私には救いだなあと、ぼんやり考えていました。

漠然とあの世って、自分の人生をジャッジされる怖いところだと思っているんだと思う。

まぁ要約すると「死ぬの怖い」て話です。畳む

867文字, なし

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